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学校の宿題

あああっ、うざっ! なんでこんなのやらないとだめなの?
と、息子がかりかりしているのだった。
学校の宿題である。
この夏休みは、学校の宿題もしっかり出ている。きちんとした先生なので、それはありがたいことなのだった。
けれど、1日の10時間を塾ですごし、家庭学習はマックスで3時間しかとれない状態の息子。その3時間も、塾から出る宿題をこなすので精一杯なのだった。
それに加えて学校の宿題である。

学校の宿題だってだいじだよ~、基本練習だと思ってやんなよ。
と、私は言うけれど、
たしかに、算数の計算なんかを見れば
分数、少数が交じった四則混合の計算を基本問題としてやっている塾にくらべて
学校の宿題には、2桁割る1桁の割り算なんかが出てきちゃうから、
「なんでこんなのを」と言ってしまう息子の気持ちは、内心わかるのであった。

ただ、親までいっしょになって
学校のってね~~
なーんて言うと、
学校をなめてかかる、小生意気にガキンチョになってしまいそうなので、
ぜったいに言わないけれど。
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個性をのばす教育って?

ある日のことである。
私はある人と中学受験の話をしていた。
我が家の近くには(ほんと徒歩圏で)、ある私立中学校がある。
偏差値もまあ高くって、
「もっと成績がよければねー、こんなに近くに学校があるんだけどねー」と、おちゃらけていたわけである。
その学校は、受験日などの兼ね合いで、たぶん息子は受験しない、だろうと思っている(今のところはね)から、説明会などにも行ったことがない。なので、その学校の印象っていうのは、私にはないのよね。ただ、外からみたら、制服がない、とか、推薦枠が何種類かあるらしい、とか、まあ、そんな知識しかもっていないわけだ。
それで
「あの学校は制服がないのよねー、で、小ギャル(古い?)みたいなかっこうをしている子もたくさんいるけれど、バスなんかで乗り合わせると、勉強してたりするんだよね、いやーえらいねー」
なーんて言ってみたわけである。
そうすると
「へええ、個性を大切にしてくれる学校なんですかねえ」と。
私は打てば響くような性質ではない。でも違和感を感じたら、あとあと考えたりする。そのときは、へっ?と思っただけで過ぎてしまったのだけれど、なんだかとってもおかしな気分がして、心にひっかかっていたのだった。
会話の相手はとてもいい人で、教育にも熱心である。勉強だけでなく、子どもの成長をぜんぶひっくるめて、大切に思っている人である。
しかし、個性を大切にするって・・・なんぞや?
まさか制服がない、ってことに反応したわけではないだろうけれども、制服がない、自由な校風、個性の尊重などなど、一瞬で感じたのだろうかな、とも思った。
でもさ、制服の有る無しなんて、関係ないと思うけどね。
娘がお世話になっている中学は、服装にとってもきびしい。スカート丈にしても、靴下、靴、カバン、すみずみまで厳しく管理されている。だからといって、個性が大切にされていないわけではないのよね。
個性を大切にする、個性を尊重する、個性を伸ばす、などなど、「個性」がらみでいろいろあるけれど、どうもうさんくさいなあと思うことが多い。たとえば、個性をのばすといいながら、単なる手抜きだったりする場合も多いのではないのかな。
子ども達はそのへんをしっかり見抜くから、大人の怠慢につけこんでわがままになる。

そして、もう1つ。
私がその人の言葉に違和感を持ったのは、「個性の尊重」なーんてくいついてきたからだ。そして、「そういう中学なら、わざわざ受験してもいいですかね」という様子を感じ取ったからだ。その裏には、私学は勉強をつめこんでいるだけでなはいのかっていう誤解さえ潜んでいるように感じたからだ。
・・・そんな・・・それだけのわけはないだろう。
そして、つめこんでどこが悪いのだ、とも思う。

私は自分の子どもに、集団で生活するうえで、ルールを守る事、ときには自分を律し、時には妥協し、時には主張し、人と関わる姿勢の基本を身につけていってほしいと思うし、同じ年代の子ども達が大勢で1つの場=学校で生活しながら、そこも学ぶからこそ、学校は子どもにとって素晴らしいものなのだと思う。
個性うんぬんはそこと共存できる。いやなのは個性をわがままを混同してしまうことだ。

厳しいルールがあって、たくさんの課題があって、その中で個性は育つものだと思う。

夏期講習スタート

今日から夏期講習なのだった。
息子は二食分のお弁当を持って出掛けた。
「夏休みは地獄だー」といいながら、けっこう楽しそうなのだった。
塾って楽しいみたい。
息子は一緒に今のクラスに上がった友達と仲良しで、「あいつも僕も、あの中学に行けたらいいな」と言う。
そう、塾の友達はライバルというよりは、同志なのだよね。
ライバルがいるとすれば、それはただ一人、昨日の自分なのだよね。
親がそこのところを間違ってはいけない。
よく受験をテーマにしたドラマなんかを見ると、友達を蹴落とすとか、みんな敵だ、なんてくだりがあって、こんなふうなドラマを作るから、受験を誤解する人が増えるのだ、と思う。
息子のまわりの話なんかきくと、そんなこと思っている子どもなんていないよ。
いつでも、昨日の自分がライバル。それが抽象的でわかりにくいのならば、前回の模試の偏差値でもいいさ、それが今自分がたたかうものなのだから。

明確な目標を持って、それに向かって努力をつづけることが、悪いわけがない。
たとえば、サッカーでうまくなりたい、とか、勝ちたいとか、そう思って一生懸命練習することと、なんにも変りはないんだ。

偏見はやめてくれ、と言いたい。


偏見

中学受験はまだまだ少数派で、偏見とも闘っていかねばならないときもあるのだった。
まったく気にしてはいないのだけれどもね。
だから、塾の話なんかも受験しない人の前でも平気でする。
たとえば、夏休みは
11時15分から夜の8時50分まで授業があるとか。二食分の弁当を持っていくのだ、とか。

わあ、たいへんだね、で済むのならいいのだけれど
ときたま
そんなに勉強をさせるの? と疑問を持たれることもある。
また、まだ小学生にかわいそう、とか。

あのね、ほっといてほしい。
勉強=きらいなもの。勉強=つらいもの。と決めつけるのはやめて欲しい。
息子はね、そりゃ、辛いときだってあるさ、遊びを我慢するときだってある。でも、基本的には楽しんでやっているのよね。10時間塾に居たって、楽しんでいるのだよね。

子どもは与えられた環境から、楽しみを見つける天才。
塾には塾の友達がいて、楽しみがある。
何も、ゲームしたり、テレビみたり、マンガ読んでるだけが子どもの楽しみではないのよ。
それは受験する子どもだけではなく、すべての子どもに言えることだと思う。

朝から夕方まで、サッカーや野球をやらせている親がたくさんいて、
それと塾と、そう違わないと思うのよね。

野球やサッカーやっている子どもだって、休日の朝早く家を出るときには
「あー、行くの嫌だなー、家でごろごろゲームでもしていたいなー」って思っているよ。
でも、行ったら楽しくなるんだ。
塾だってそうなんだけれどもね。
なんで、スポーツが良くて、勉強だと「かわいそう」になるのかな。

勉強が嫌い、っていうのは、親の勝手な思い込み。
親だ嫌いだろうって思っているから、子どもが勉強嫌いになるのだと思う。

夏休みのスケジュール

塾から詳しい夏休みのスケジュールが出た。
本科の授業は、毎日14時から20時35分まで。その前後になにやらいろいろな講座がくっつく。結局息子は11時15分から20時50分までの授業を毎日こなすことになる。
少し休めるのがテストのみの日。そして休日が何日かあるだけ。

弁当は昼と夜の2食分を持っていかなきゃね。

・・・おねーちゃんもそうやって乗り越えたんだ。息子よがんばれ!

健康管理は母の役目

こわいーと言っていた模試は、思ったより結果が良く、
この偏差値ならば一列目!と、息子はほっとして、今日塾に行ったのだ。
けれど
なんか最近、疲れているのがわかる。
同じ時間に寝かせても、朝、起きられない。
食欲もあまりない。
もともと喘息なんか持っていて、体は強いとはいえない息子だったのだ。
喘息の子って、梅雨や台風時期が苦手じゃない?
お天気のせいかな、と思うけれど、心配な母だった。
塾のない日は食事のバランスに気をつかっているつもりだけれど
カロリーがたりないかな・・・
なんたって体が資本なのだから。
子供が喜ぶメニュー、もっと勉強しなくてはならない母だった。
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